Shortmovie’s

短い映画ができるまで  帰り道

忘れていたワケじゃないんだぜ♪
久々ですが♪
「帰り道」
この曲は私が一人で歌い始める事になって
一番初めに作った3曲の中の1曲です。
確か3曲目に作ったんだと記憶しています。
これはそうだな、私にとってとても自然な曲。
メロディとかこう流れみたいなものがとても自然。

しかしこの「帰り道」は構成が現在まで二転三転しています。
最初は歌い始めた頃、最後はレコーディングの際。
いずれもプロデューサーであるhirokophoneのアドバイス。
そーなんだよ、変わる度にフォーカスが合ってくる。
核心に近づいてくるって感じですね。

そしてこの曲はライヴで色んな人とのコラボレーションも魅力の一つです。
みたあきこさんや星来ちゃん、石ちゃんやさなえちゃん。。。
色んな「帰り道」になります。

レコーディングではまずテンポをライヴでやっているそれより
少し早めのテンポでやってみる事にしました。
これがね、またはじめがしっくり来なくてね、やりながらどうかな?
と不安になったんだけどいざ録音したものを聴いてみると
あら不思議!!スッキリとそして曲全体がとてもわかりやすくなったりして♪
そんな経験をしました♪

最後に、この曲には本当にちょっとした仕掛けがあります。
気付いた人いるかなぁ。。。
とてもせつない仕掛けです。

帰り道

夏の初めに香る雨 この道がずっと続けばいいのに

商店街をぬけて 産業道路を渡る 信号は青
操作場にあたる道は 左へ大きくカーヴする 雨に濡れて
鉛色の空の下  控えめな水滴には
一つの傘で 十分過ぎるね

車の通らない 陸橋の下 ひなびた公園で何も言わず
二人で雨宿り 肩についた雨をそっと払おう  錆びたブランコ
鉛色の空の下二人の姿隠すには
一つの傘じゃ小さ過ぎて
君が何を言ったかなんて 雨で靴がグジュグジュなんて
それより問題なのは触れてるキミの胸

君に何も言えなくったって マジソンバッグが濡れたって
それよりも問題なのは 触れてるキミの胸nec_0286.jpg

夏の初めに香る雨 この道がずっと続けばいいのに
夏の初めに香る雨 この道がずっと続けばいいのに
この雨がずっと降り続けばいいのに


さっ今日はラヂオだよっ!

15:00~16:00。
かわさきエフエム79.1MHz 「ちょっきんずのやっぱ!かわさき!」
に出るのでみんな聴いてね♪
川崎以外の人は0180-994-791から電話でも聞けるんだって♪

そして良ければココからか↓でメールやFAXでの応援もお願いします!!

E Mail:kcity@kawasakifm.co.jp
F A X:044-711-1400

短い映画ができるまで  大師線の唄

毎日毎日スッゴイ風、春の嵐が続いていますナ。
予想通りサクラも咲き始めたって事で毎年恒例の

nec_0185.jpg

国立さくら通りの桜。

それにしても今朝は
歩く方向によっては
全く前に進まないんだもん
いやいや疲れた。。。




では本編です。
今日は大師線の唄をセルフライナーノーツ風にいきましょか。

全てはココから始まりました。
この短い文章にhirokophone、進化論のもんち君がコメントをくれた事が
調子に乗りやすい私に火を付けたとでも言いましょうか。
川崎のネガティヴな面と私が高校1年生の夏休み前のある日に大師線に乗っていて
「大師線て一応海に向かって走ってるんだよな。。。」
「結構大師線て夏が似合うじゃん」
って思った事を対比させてやろうと思い
前半と後半で曲のイメージ自体が変わるように作られています。

レコーディングではhirokophoneが「ホントはね~」という部分の前に
印象的なピアノを入れてくれた事がこの曲を一層盛り上げる事に一役買っていますね。
これは以前に書いたデータのやりとりの最中に出てきたフレーズなんですが
はじめて聴いた時に小躍りしちゃうように気分が高揚しました。
後半部分に入る時の疾走感は何度聴いても素晴しいものがあります。

ギターのストロークは指で弾いたモノとピックを使って弾いたモノのダブルになっていて。
これは録音していて両方とも良いんだけどどうしようか?
と迷っていた時にhirokophoneが「じゃあ一緒にしちゃえばいいじゃん♪」
とシンプルかつ合理的な言葉を発し、
やってみたら素っ晴しい音になったという経緯です。
エレキギターはとても難しいコンセプトがあり
それは「無責任でピロリロって弾いては居なくなり、またピラリンと弾いては居なくなる」
というようなフーテンの寅さん的内容のモノで、
????という感じですがそこは現代印象派の巨匠達、ピラリンという感じになっていますね。

この大師線の唄は疾走感が命、そんな風(どんな風?)に聴いていただけると
幸いです。
ちなみに歌い出しのピンクの窓からというのは
風俗街(堀の内)を意味しています。
ここ歌詞で一番悩んだトコです。

それでは最後に歌詞を全て載せて今回はおしまい♪次回は帰り道です。

大師線の唄

ピンクの窓から夜も眠らない鉄と石油の遊び場へnec_0029.jpg
重い空の下
耳に赤ペン 自転車や馬の鉄火場まで
曇り空の下
あふれる欲望抱きしめて 4両だけの赤い電車が行く

焼けついたアスファルト 南風なら
運河のニオイ
朝靄を 働く男を連れて陸橋まで
灰の空の下
つまる胸だけ受け止めて 10分だけの赤い電車が行く

ホントはね 大師線
夏の青い空も 良く似合うんだ
いつまでも 大師線
海の香り浴びて 入道雲に向かって走れ 

どこまでも 大師線 
多摩川と並んで 僕を連れて行って
いつまでも 大師線
かもめ追いかけて 夕焼けを背に明日へ走れ

短い映画ができるまで 2

いやいや春だねぇ♪
俄然盛り上がりたいトコですが、花粉含めなんとなくボンヤリした体調。
この時期はみんなそんな感じなのかな?
先週の土曜日cafehatLIVEは「川崎アコーディオンサークル」
の方々が出演してくれました。
地元のご高齢の方が多いサークルでみんな楽しそうに真剣に演奏します。
cafehatにとても良い時間が流れました。
ゼヒまた聴きたいナと思わせる演奏会でしたヨ。

という事で本編。

そんなこんなで帰り道、大師線の唄がだんだんと形になっていき
それがなんつうか非常に中身の濃い物になりそうだという事が
明確になってくるともう一曲入れてマキシシングルというよりはミニミニアルバムといったニュアンスの作品にしようと選ばれたのがトンネルです。
まぁ軽く決まるんだけどね、私の場合名曲揃いだから笑顔
話は少し変わりますが今回のCD「Shortmovie’s」にはサンクスクレジットを載せませんでした。
これは別に私が恩知らずなわけでも実際に誰の世話にもなっていないという主張ではなくむしろ全く反対にあまりにも多くの方々にお世話になったからです。
ちょうどこの時期で言えば進化論の男サマタさんにベースを弾いてもらいアイディアを提供してもらったりkorayには帰り道のテンポ決めの際幾通りかのテンポでヤンブーを叩いてもらったり(彼女はそういう事ができるのです)石ちゃんにも帰り道でキーボードを弾いてもらい参考にしたり。。。。
と実際の音楽関係のコトでもいろんな人達にお世話になっていたのです。
そんな風だったのでクレジットしてしまうとそれだけでジャケットになってしまうそんな感じでした。
そしてアレンジがだんだん固まった頃、
hirokophoneからある人の音源が送られてきました。
その音源でドラムを叩いていたのが福生のスンゲェカッケーR&RバンドHOT Lの井出 園生、ソノオ君です。
もうね、音源聴いてすぐhirokophoneに電話ですよ電話!
それほどその音源のドラムはカッチョ良かった♪
hirokophoneも私の曲に合うんじゃない?と考え薦めてくれのですが、
私も即決です。ってか叩いてくれんの?って。
ちょうどそれを聴いている場にさすらいのロッカー谷口豊と佐奈枝ちゃんがいたのですが
みんなでのけぞるドラムだったんだ。
ドラムが決まり、そうなると実際のレコーディングももうすぐです♪
スタジオは福生のスタジオロックに決めました。
少し私の家からは少し遠いのですが私のちょっとした憧れの地である福生の
しかもハウスでレコーディングなんて最高だと思ったのです。。。。

ってコトで続く。。。。
次回 短い映画ができるまで からは曲毎に解説を含めレコーディングエピソードも入れつつ進めていきますよん♪
次回 「短い映画ができるまで 大師線の唄」 こうご期待ッ♪

短い映画ができるまで 1

という事で本編に入る前にちょっと。
前回の短い映画ができるまで 序章は楽しんでいただけたでしょうか?
次が読みたくてウズウズしてたでしょ?
実は前回のブログにはちょっとした仕掛けがしてあったのです。
まぁ文章を生業にしている人なら知っているちょっとした味付けなんですが、
CD「ShortMovie’s」も3曲聴き終わると自然ともう一度聴きたくなるでしょ?
アレも同じようなちょっとした味付けがしてあるからなんか聴きたくなるんだよね。

では本編。

話は前後しますが今回のレコーディング、
1.2年前からプロデュースはhirokophoneにお願いする事になっていました。
えぇ私を弾き語り、いや歌うたいの世界に引きずり込んだ張本人ですから
責任を取ってもらおうと押さえていたのです。
私はそっちの事はなーんもわからないものでね。
そしていよいよ去年、あっもう一昨年の終わりから「来年はやろう!」
と打ち合わせ(呑み)を続け、前回(序章)ラストの言葉に繋がっていったのです。
「私達が作るものだから悪いものになるワケがない」
この言葉は去年の春頃にはすでに合言葉化していました。
CDは当時「大師線の唄」のシングル盤として計画は進んでいました(居酒屋で)。
カップリングで「帰り道」、誰もが納得する選曲でしょう。
度重なるミーティング(刺身付き)で
まずCDの最終着地点をどのようにするか、
大体hirokophoneと話をする時には殆ど共通の認識をもっていたので
どちらかがこうじゃない?と話すとうん、それだね。
で決まってしまいます。

nakasanの歌を全面で押し通す
nakasanの曲の良さが皆に伝わる演奏にする


まぁ平たく言うとこの2点になるのでしょうか。
しかしワタクシ、この時点では本当の意味でこの2点を理解していたかと
言われれば今となっては勘違いして理解したつもりになっていたと
言い切れます。
それくらい今レコーディングでは色々と勉強させてもらったんだね。
さて、呑んでいるばかりではありません。
私とプロデューサーhirokophoneは4.5月には作業に取り掛かりました。
実際の録音作業が上手く進むよう、それぞれの曲を洗いなおして
バラバラにして、
いわば棚卸をやりさらに組み立てる(プリプロ音源)作業です。
最初に手をかけたのは「帰り道」。
帰り道はありがたい事に共演したミュージシャンの方々が
セッションしてくれ色んな個性の帰り道が音源として私の手元にありました。
みたあきこさん星来ちゃん、石ちゃん、さなえちゃん、、、、
これらを全て聴き直してみたりして
どんな風にしようか?とね。
帰り道はまずテンポを決める事が難しい曲でした。
ライヴ音源、セッションの音源で良い感じだなぁと
思っているテンポは少し聴いている方としてはダレるのではないかと
いう話になり最終的に2つのテンポでやってみようと。
そんな風にして実際の作業が始まりました。

まず私が自宅で決めたテンポでクリック音を聞きながら
ギターを録音しさらに歌を録音(これは家人にはかなり不気味)し
そのmp3ファイルhirokophoneに送る。
それをhirokophoneが鍵盤を入れたりリズムを入れたりと
加工したものを私に送る。
私はその加工されたものをipodに入れ通勤時間に聴きまくる。
そして気付いた点、またはhirokophoneが「こうやって」「こうしよう」
という提案を入れて新たに録音し送りまた加工し。。。
という作業が5月~8月実際のスタジオでの録音作業がはじまるまで
毎晩のように続いたのです。
私は夜比較的早い時間に録音して
チョコチョコっとPCで加工してファイルを送るって日々だったのですが、
hirokophoneはそのファイルを受け取ってからの作業なので
毎晩かなり深夜まで作業してくれた事になります。
しかしこのhirokophoneのレスポンスの良さには助けられ、
本来グータラな私のテンションが下がらぬまま突っ走れたのは
本当にありがたいことです。
また、この毎晩のように続いたファイルのやりとりのおかげで
かなり細部に至るまで意思の統一ができ、
その後実際のレコーディングで全く迷う事無く録音自体は
最後まで本当に順調に進める事ができたのです。
なんでもそうですが下ごしらえってスッゴク重要なんですねぇ。
はい、去年の春~冬にかけて毎朝のように
ノリノリなあるいはニヤニヤなまたは
眉間に皺を寄せたnakasanが南武線に居たというワケです。
しかしこうして作業が進んでいく間に当初考えていた
このシングルCDという概念はだんだんと消えていく事になりました。

って事で短い映画ができるまで 2 に続く。。。と思う。

あっ冒頭に書いたちょっとした味付けってね「気合いと想い」だよ。
そーんなテクニックを知っていたらワタクシ今頃はジャグヮーとか乗ってウハウハだよん♪

短い映画ができるまで  序章

nakasan歌っちゃえばイイじゃん♪スーツとか着てさ」
「なんか言葉に説得力あるしさ、良いと思うよ」
下北沢のはずれにあるガラス張りのライヴバーで数ヶ月前にやはりこの場所で
共演した女性シンガーソングライターが言った。

2004年の秋、私は蝉という女性Voを中心にしたバンドでギターを弾いていた。
バンドは上り調子、自分が歌うなんて夢にも思っていなかったが
この時言われた言葉はなぜか頭の片隅に残った。
明けて2005年の夏、
冒頭の言葉はあっさりと現実のものとなった。
バンドの番外編としてVoと私の二人「田中田」でブッキングしていたライブがあったのだが
Voから体調不良のため出演できないとライブ前日に連絡がきた。
体調不良の原因は妊娠。症状はつわりである。
数ヶ月前から懐妊の報告を受けていた私はこんな事を考えていた。

1. 妊娠、出産、子育てという事は少なくともむこう3年間はバンドとしてフルに活動する事はできない。
特に妊娠中はつわりさえ収まればある程度活動する事ができるであろうが
出産後1年間は殆ど無理であろう。

2. 高校生の頃からバンド活動をしていた私は
バンドを維持する事に消耗していた。
それでも音楽活動は継続していきたい。
ここで重要なのは継続という事である。
今までのようにバンドがポシャって1.2年セッション等水面下で活動するような事は絶対避けたい。
adamasu1.jpg
そんな風に考えていると
冒頭の言葉が私の中でどんどん大きくなっていくのである。
今回の事を乗り越えたとしてもこのまま他人に依存(バンド形態)していたら
また自分以外の人間の都合で音楽活動ができなくなる。
ならば自分で歌うしかないのではないか。。。と。
ライブ前日に出演できないとの連絡を受けた私は
出演キャンセルをせずに「弾き語り」自分一人で出演する事に決めた。

初めての一人ぼっち「弾き語り」デビューの朝、
事情を話して相談していた冒頭の女性シンガーソングライターは
「アハハ~私の思い通りになったねぇ♪ガンバッテね~♪」
竹芝桟橋からメールをよこし八丈島で予定されている演奏をのため旅立った。
って見に来ないのかよっ!?
あー不安。

「弾き語り」デビュー、死ぬほどビビッた。
なんといっても初体験である。
そしてものすごく消耗した。
出番が終わった後頭が痛くいくら酒を煽っても酔わなかった。
でも、これでこれからやっていけると思った。

私達が作るものだから悪いものになるワケがない

2008年の春、立川の居酒屋でまたしても冒頭の女性がこう言い切った。
今度は私も100%同じように考えていた。
Shortmovie’sプロジェクト(当時はナカプロ)のスタートである。
冒頭の女性とは言うまでもなく
今プロジェクトのプロデューサーhirokophoneだ。

~短い映画ができるまで 1に続く~
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